イヅミ 婚シェルジュ

我が故郷・愛する鹿児島で、人と人のご縁を結ぶことが、
故郷への恩返し・鹿児島興しに繋がると確信し、
これがわたしの使命と感じております。

記事一覧(10)

『池田湖のイッシー』

 さて、全く視力の効かぬ身の上で、造形に挑戦している私であるが、今回は趣向を変えて「池田湖のイッシー」を製作してみた。 実は今年の夏、地元 鹿児島で行われた展示会「大ゴジラ特撮王国」に観覧に出向いた際、思いがけず現場責任者の方に親切丁寧な対応と解説を頂き、感動して帰路についたのだが、「俺も怪獣作りたい!」と云う想いがフツフツと沸き上がってきてしまった。とは言え、いきなりゴジラを作るのはハードルが高すぎる為、先ずは腕慣らしに選んだネタが、我が鹿児島県が世界に誇る未確認生物、「池田湖のイッシー」だったと云う訳なのだ。 そもそも「イッシー」とは、どの様な姿なのか?「恐竜の生き残り説」、「大うなぎ説」、「巨大人喰い蛭説」、「外来の大型淡水魚説」、「全く未知の不明生物説」など、様々に推測されているが、結局全体像は不明のままである。まぁ、だからこそ想像を掻き立てる魅力に満ちている怪獣なのであるが。 で、今回の「イッシー」のデザインに選んだのは、諸説ある中で最もスタンダードな「恐竜生き残り説」のプレシオサウルスなどに代表される首長龍タイプ。それを、キモカワなディフォルメキャラクター風にアレンジしてデザインしてみた。シチュエーションとしては、「イッシーの波乗り」。 いつもの様に頭の中でデッサンを繰り返し、明確なコンセプトを得て製作に取りかかった。 今回、イッシー本体はダンボールを主な材料にして全体を製造、軽量化に務めた。牙などの細部はボール紙を折り重ねて強度を増してある。首と尾、両手足の付け根には針金で補強し、後でポーズ付けが容易に出来る様にした。そして全体に薄紙を張り重ねて質感を表現し、同時に補強を兼ねてある。波を表現した台座部分は、三角柱の木材を横にし、それに針金に布を巻きつけた物で大ざっぱな波の形を作り、更にエポキシパテで全体をコーティングして重量感と滑らかな質感を出してみた。イッシーと台座をボンドで接着した後、ラッカー系のニスとアイボリーカラーのスプレーで着色。最後に円形にカットされた木片に「池田湖のイッシー」と言うロゴをペイントマーカーで記入してもらい、土台側面に張り付けて仕上げとした。ちなみに、ロゴを記入してくれたのは、当院の受け付け担当、坂松伊津美氏である。全高約30糎。 このイッシー像、製作開始から約一ヶ月半ほどで完成したのだが、いかがだろうか?こんな土産物が池田湖湖畔で売っていたら皆様は購入されるだろうか?(笑)。ちなみに、当院のお客様方に感想を訪ねた所、おおむね良好な反応であったが、中には「怖い顔の海亀?」といった感想の方も居たりして面白い。ディフォルメ化の際、頭でっかちにした上、どちらかと言えば肉食系の恐竜に似た歯並びの、やんちゃ顔にデザインしたのが原因なのだろうか?まぁ、当初の目的通りのキモカワ系に出来た物と、前向きに考えたい。さて次はいよいよ「ゴジラ」、と行きたい所だが、実は次回作は「ネス湖のネッシー」となる予定である(笑)。どんな怪獣が出来上がるか?乞うご期待! これからも池田湖が「イッシー」が健やかに生息可能な環境でありますように。2017.10.06

手探り造形始末記 2017 その2

 さて、前回は主に「制作前のコンセプトデザインの構想」について述べた。これから実際に完成した像が、どの様な姿になり、どの様な意味を付与されていったのか?と云う点について語ろうと思う。と、その前に私の造形スタイルについて少々述べておきたい。一般的な粘土による塑像制作では、先ず丈夫な土台の上に像の全身骨格となる骨組みを、木材や針金、麻ひも等を利用して、像のスケールやポーズに合わせた形で作り上げる。それから全体のバランスを見ながら肉付け作業を行い、徐々に細部を仕上げてゆく。つまり、初めの骨組み制作の段階で、像の完成後の姿が、ほぼ決定してしまう。この作業だけで、制作者の高いデッサン力が求められるのである。しかし、視力を失った私には視覚的に像の全体を見通す事が不可能である。そこで最初から全身骨格を造るのを諦め、体を解剖学的な部位に分けてバラバラに造形し、全てのパーツが揃ってから模型を組み立てる様に形造る造形法を選んだ。これなら途中の段階でもポーズの変更が可能である。更にパーツのほとんどを紙や布で造形し軽量化に成功していた為、パーツ同士の接着には困らなかった。ただ念のため、負荷のかかる部分には針金等を差し込み、更にエポキシパテで補強した。このパテは2色の粘土状の樹脂を混ぜ合わせると約1時間程で硬化し、非常に使い勝手の良いアイテムである。最終的にパーツ数は大小合わせて200を越えていた。勿論、パーツ制作前に頭の中には明確なデザインが、細部の設定まで出来上がっていた訳である。ただ、それでも手探りでの組み立てでは多少の誤差が生じ、微妙に左右のバランスが不均衡になっていった。このバランスの誤差を解消する為に幾度と無くデザインの変更を余儀なくされた。完成までに丸2年を要した原因の1つである。「幼年期の終わり」という作品は、数え切れぬ程の試行錯誤と僅かな成功、幾多の妥協とそしてちょっとした偶然による産物なのである。我ながら、よくも飽くことなく完成まで漕ぎ着けたものだと思う。造形にかけた執念の源には何があったのか? 以前、新聞記者の青年に「何故、目の見え無い人が立体造形に挑んだのか?」と問われた事がある。