手探り造形始末記 2017 その2

 さて、前回は主に「制作前のコンセプトデザインの構想」について述べた。
これから実際に完成した像が、どの様な姿になり、どの様な意味を付与されていったのか?と云う点について語ろうと思う。

と、その前に私の造形スタイルについて少々述べておきたい。
一般的な粘土による塑像制作では、先ず丈夫な土台の上に像の全身骨格となる骨組みを、木材や針金、麻ひも等を利用して、像のスケールやポーズに合わせた形で作り上げる。
それから全体のバランスを見ながら肉付け作業を行い、徐々に細部を仕上げてゆく。

つまり、初めの骨組み制作の段階で、像の完成後の姿が、ほぼ決定してしまう。
この作業だけで、制作者の高いデッサン力が求められるのである。
しかし、視力を失った私には視覚的に像の全体を見通す事が不可能である。
そこで最初から全身骨格を造るのを諦め、体を解剖学的な部位に分けてバラバラに造形し、全てのパーツが揃ってから模型を組み立てる様に形造る造形法を選んだ。
これなら途中の段階でもポーズの変更が可能である。
更にパーツのほとんどを紙や布で造形し軽量化に成功していた為、パーツ同士の接着には困らなかった。
ただ念のため、負荷のかかる部分には針金等を差し込み、更にエポキシパテで補強した。
このパテは2色の粘土状の樹脂を混ぜ合わせると約1時間程で硬化し、非常に使い勝手の良いアイテムである。
最終的にパーツ数は大小合わせて200を越えていた。
勿論、パーツ制作前に頭の中には明確なデザインが、細部の設定まで出来上がっていた訳である。
ただ、それでも手探りでの組み立てでは多少の誤差が生じ、微妙に左右のバランスが不均衡になっていった。このバランスの誤差を解消する為に幾度と無くデザインの変更を余儀なくされた。完成までに丸2年を要した原因の1つである。

「幼年期の終わり」という作品は、数え切れぬ程の試行錯誤と僅かな成功、幾多の妥協とそしてちょっとした偶然による産物なのである。

我ながら、よくも飽くことなく完成まで漕ぎ着けたものだと思う。

造形にかけた執念の源には何があったのか? 

以前、新聞記者の青年に「何故、目の見え無い人が立体造形に挑んだのか?」と問われた事がある。


あの時は漠然とした答えしか出来なかった。

我々の様な視覚障害者は、自分の気持ちや内面にあるイメージを言葉でしか表現できない。

それは非常に困難で、ともすれば正しく伝える事が出来ずに誤解を受けてしまう。

確かに喜怒哀楽といった感情は顔の表情や仕草で現せるのかもしれない。

しかし、悲しいけれど笑っている時や嬉しいのに怒っている時もある。表情と気持ちは必ずしも同じでは無いのだ。

何より、鏡を見つめても何も分からない私が「自分は上手に笑えているのか?」など知る由もない。

まして、相手の内面の気持ちを理解する事は至難の業である。

アイコンタクトもボディランゲージも使えない状態は、お互いにコミュニケーションの幅が広げにくいものだ。

このように視覚的対話とは、時に言葉よりも重要なコミュニケーションツールとなるのだ。


まだ視力が健在だった時の私は、自分の気持ちが相手に上手く伝わらない時には、簡単なイラストを描いて相手に見せたものだった。

絵を描く事は何より楽しかった。

やがて私はイラストレーターになる事を夢見る様になり、時を忘れてスケッチブックに色々な物を描いたものだ。

だが、高校2年の時、自分が網膜色素変性症である事が分かり全てが一変してしまった。あれから30年が経過し、私はようやく言葉より雄弁に自分を語る手段を身に付ける事が出来そうな気がしている。今なら、あの青年にこう答えるだろう。「私の作品を通して、私の存在や、その精神に触れて欲しい。それにもまして、私の作品に触れた人々が、その前にたちどまり、お互いの印象を語り合いたくなるような-、そんな、コミュニケーションを生み出す装置を創造したい、という祈りが私を作品制作に駆り立てるのだ。」と。

-話がかなり脱線してしまった。さて、いよいよ作品の各所に込めた意味について少々解説してみたいと思う。だが誤解の無いように申し添えるが、これから解説する事柄はあくまで作者の意図に過ぎず、本当の答えは作品を鑑賞していただいた皆様が自由にイマジネーションして良いのであり、それこそが「見る者の特権」なのである。


3.各部のデザインと、その寓意について。

先ず全体像を見て頂きたい。

前回も述べたが、右側が悪魔、左側が天使の様な姿をしている。

成熟した人格とは、善と悪が融合し、境目など存在しない。

反発し合う2つの要素が1つに統合されている状態を「太極」と呼ぶ。

それこそが、万物が到達すべき最終地点であり、同時に全ての物象に始まりが告げられる神の領域でもあるのだ。

しかし、この像で現されし者は、まだ「太極」へは遠く及ばぬ未熟な体である。

善悪は明確に分裂し、辛うじて1つの体に収まってはいるが、異様な姿である。

ところで、本来ならば、この像の足元は、巨大なサナギの脱け殻か、繭玉の様な物が取り付けられるはずだった。

この像は、そこから今まさに羽化したばかりの蝶、さながらに、幼年期から思春期へと脱皮する人の心、そのものを表現しようとしたものであった。

だが、実際にはサナギも繭も無い。理由は単純に「これ以上、大きくなると、運ぶのが大変だから。」である。

全く恥ずかしい限りだが、実際これを運ぶのに自動車3台も使っている。運搬に協力してくれた家族に感謝である。

一応、サナギに取り付ける為に制作していた6本の腕が余ったので、像の足腰に取り付け、初期デザインの名残とした。

これは、下半身のボリューム不足を補う為でもある。

いきなり格好悪い話からスタートで恐縮であるが、このデザイン変更は、作品本来の意味を、かなり分かりにくくしていると思う。

 さて、像の全身が、所々スケルトン状態なのは、脱皮したばかりの昆虫の体が、美しい半透明で、内部構造が透けて見える様を、自分なりに解釈して再現してみたのだが、いかがだろうか?

造形の手順としては、先ず背骨にあたる部位を木材とパイプで制作、それを中心に内部の臓器を取り付け、その上にあばら骨や骨盤を被せ、更にその上から筋肉に相当するパーツを接着している。

そして、要所ごとに、昆虫の甲殻のような外皮を取り付け、表面から内部構造が垣間見える様にしたのである。

特に、像の胸部は、臓器や外皮のデザイン全てを非対称にしている。

全体的に、左側の天使のパートには「渦巻き」を思わせる表現を多用している。

これは、虫の触覚や触手、植物のツルや発芽した芽、循環する水や風の流れ、などの意味を付加している。また、体内を流れる血液やエネルギーの循環の意味も兼ねている。対して、右側の悪魔パートには、鋭く尖った槍の先端の様な「悪魔の尻尾」や「カギ爪」を多数、取り付けている。これ等は、反抗の意志を現している。人における反抗期とは、自我の覚醒であり、未だ弱々しい己をさらけ出す事への拒絶である。また、薔薇の棘のような物が、あちこちから突き出している。植物の棘は、他者への反抗と云うより、生きる為の戦略としてポジティブに進化したものであり、「悪魔の尻尾」の様なネガティブなイメージとは異なる。像の後背部では、脱皮に伴う体の形成が間に合わず、背骨や肋骨、骨盤の一部が、まだ体内に収まっていない。その様な不完全な姿にも関わらず、次なる進化は始まっており、背中の殻を突き破り、新たなる何者かの腕が現れようとしている。後方に広げられた翼は、一見すると巨大だが、その翼端は未熟で、空を飛ぶ事は不可能である。全体的に、どこか未完成ながら、得体の知れない生命力に溢れた姿-。それこそが、この像の目指した形なのだが、皆さんは、どのように感じただろうか? それでは、像の主要な部分を解説してみよう。

①頭部

前回も解説したように、この作品は、「阿修羅像」の三面六臂の姿を参考にしているが、頭部に顔は1つである。右側の悪魔と、左側の天使とで、表情や細部のディティールを大幅に変えている。

「強さの誇示」と、「凶悪な敵意」を象徴する複数の曲がりくねった角に覆われた悪魔サイド。「自由への渇望」と、「みちなる物へのあこがれ」を象徴する、3枚の翼と、波打った髪の毛を持つ天使サイド。

このディティールは、入浴中、シャンプーで洗髪しながら考えた。

入浴時は、色々アイデアをまとめるのに最適である。

そう言えば漫画家の手塚治虫氏も「鉄腕アトム」の頭部デザインをお風呂場で思いついたそうだ。

お湯に浸かると血行が改善され、リラックス効果も相まって頭脳の働きが活性化するのであろう。


この頭部は造形作業スタート時に、一番最初に、ボール紙などでその頭蓋骨をつくっておき、その外の部品を造る際の目安とした。

そして、部品製作の最後に仕上げの作業を行い、本体にとりつけた。やはり、像の印象を決定付ける大事なパーツなので、最後に念入りに作り込みたかったのである。

実は、この顔をデザインする際に参考にしたのは、当院に治療に来られるベリーダンス教室のインストラクターの先生や、その教え子さん達のお話なのである。

ベリーダンスの起源は諸説あるそうだが、中東あたりでは「東方の踊り、ラクスジャルキ」と呼ばれているらしい。

元々は豊穣の神に捧げられたもので、結婚式の席や、出産をひかえた妊婦の為に踊られたらしい。「阿修羅」が伝えられた地方からやって来た、人の誕生を祈願する舞踏。

今回の作品に共通するものを感じただけでは無い。ダンス教室の皆さんが発表会で行っていると云う特徴的な化粧も実に興味深いものである。

普段は穏やかなお嬢さん方が、歌舞伎のクマドリの様にくっきりしたメイクを完了させると、時に荒々しく活動的に、時に優雅に妖艶にかわってゆくと云う。

まるで祭儀で神がかりとなる巫女の様であるが、正にその姿こそ、ベリーダンス本来の意味を体現したものだと思われる。彼女達の行うメイクによる人格の転移を、この顔の造形にイメージしながら製作している。

その表情は、天使サイドが静かに穏やかにこちらを見つめており、悪魔サイドが妖しげに、不敵にニヤリと笑いかけている。

一応、断っておくが、この顔のモデルはあくまでも私自身であり、ダンス教室の方々には一切関係御座いません。

参考にしたのは、そのお話の内容だけです。

皆さんとても美しく、かつ可愛らしい方々です。本当に。 

さて、少々技術的な話をしよう。

天使サイドで最も苦労したのが、3枚の小さな翼である。

最初なかなかイメージ通りの翼が作れず、いくつもの試作品を製作した。

結局、採用したのは「翼の羽根を1枚ずつつくって、手羽先に貼り付ける」と云う方法。

まず、ボール紙で、アイスキャンディーの中棒によくある様な「上下を丸く削った細長い薄板」と同型の物を数百枚作った。

それを羽根に見立て、1枚ずつズラしながら、手羽先の様な部品の内縁に重ね貼りした。

以前、絵を描いていた頃に、鳥の翼の構造を調べた事があり、それを思い出しながら造形したのだが、いかがだろうか?

どの様な知識も、何時、何処で役に立つか分からぬものである。

しかし、延々とキャンディーバーを作り続ける作業には、流石にウンザリであった。

一方、悪魔の角の方は、水牛の角を参考に、やはりボール紙を丸めて棒状にしたものを何本か寄り合わせて素体とし、更に布を巻き付けて、それらしく加工した。

この作業は実に楽しくて、つい角を付け過ぎてしまった。

この様に、造る部品によって、かなりモチベーションに差が生じるのも、造形の醍醐味と言えるのだが、どんな時もコツコツ続ける事は大切である。

と、云う訳で、このレポートも、暫くはコツコツと続くのであります。


次回は、実は最も悪戦苦闘した、主翼と背部の解説を予定しております。お楽しみに。


去る2017年5月27日、黎明館にて行われた、第64回鹿児島県美点、表彰式での総評にて「新しい感覚の作品であり、今後も期待。」との、有り難いお言葉を賜りました。

改めて、展示会関係者の方々に感謝申し上げますと共に、今後も、手探りだけで、一体どの様な作品が造形できるのか、探求と努力を続けたいと思います。

さかまつ治療院院長 坂松潤一 2017.05.30.

さかまつはりきゅう治療院

鹿児島県鹿児島市小松原にて2011.4月~OPEN。 肩こり、腰痛などでお困りの方に、 鍼・灸・マッサージにて治療させて頂きます。 予約優先制・まずはお電話を。 099-269ー1162

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