手探り造形始末記2017

1.はじめに

網膜色素変性症により失明した私が、思いあまって手の触感だけを頼りに立体造形にチャレンジを始めたのが2014年10月の事だった。

2015年5月の鹿児島県美展に怖い物知らずの出品。それが思いがけず一般の部の彫刻部門で入選。


タイトル「狭間にて。」と銘打ったそれは、背後から伸びてきた複数の腕に羽交い締めにされた苦悶の表情の男の姿を通して、何かを成し遂げる度に誰しもが経験する強い葛藤を表現するというもので、コンセプトはユニークだったと思うが我ながら異様で技術的には稚拙な作品であった。


ところが、この作品が地元地方紙の南日本新聞に取り挙げられる機会にめぐまれ、周囲から予想外の賞賛と多くの反響を得る事となった。




感謝感激の貴重な体験だったが、同時に次回作への周囲の期待と大きなプレッシャーも抱える事になった。

展示会終了後直ちに次回作の製作に取りかかったのだが、作業は難攻。

患者様への日々の治療を続ける合間に作業をする訳なのだが、この2015年の作品の未熟な点や問題点を解決出来ないまま製作に踏み切った事と何より自分の技術力の拙さが重くのしかかり、次作の完成までに丸2年も費やしてしまった。

とは言え、悪戦苦闘ではあったが、実に充実した楽しい製作の日々でもあった。


ここに、私の手探り造形作品第2号「幼年期の終わり」の製作プロセスについて記そうとおもう。


2.デザインと作品のテーマについて

造形物を作ったり絵画を描いた事のある人なら、まずは自分のイメージを明確にする為に何枚ものスケッチやデッサンを描く事とおもう。

かつて視力が健在だった頃の私もそうしていたが、失明後は、空中に指先で線を描きながら脳内にイメージを組み立て、それを記憶する作業をひたすら繰り返した。

つまり、頭の中に仮想のスケッチブックを作り上げた訳である。

この無限にページの存在するスケッチブックに、まずは作品の全体像を複数パターン描いた。

デザインに入る以前から今回のテーマは「思春期の頃のアンバランスな心の形」を表現すると決めていた。

それで左右がそれぞれ天使と悪魔の対になった姿を採用する事とした。

思春期の頃は冷静に判断して理性的視点で行動する人格と、情熱的な力任せの感情的視点で突っ走る人格とが極端に分離していて人としての心と体の形成が未熟である。

それこそが「若さの特権」であるのだが、その危うさと予測不可能な成長を続ける生命力を一つの形にまとめてみたいとおもったのである。

半神半魔の異形の者が、さながら蝶がサナギから羽化するように繭の中から立ち上がる瞬間を基本型とし、それに様々な寓意的なモチーフを散りばめ、視る角度によって多様な解釈が可能な像にするようにデザインを絞っていった。


このデザインは私がまだ目が見えていた思春期の頃に影響を受けた2つの作品へのオマージュが込められている。

1つは、アーサー.C.クラーク著作による古典SF小説の傑作「幼年期の終わり」。

その大まかなストーリーは、宇宙進出を始めようとしていた人類の頭上に突如、何処からか謎の超大型宇宙船が飛来。

制空権を奪われた人類に対し、宇宙船の主は「我々の支配を受け入れれば更なる繁栄を約束しよう。」と提案する。逆らう術を持たない人類は提案を受諾。

やがて国同士の戦争は無くなり、飢餓も伝染病の恐怖も無くなり、更に宇宙船からもたらされた科学技術により、かつて無い理想郷が実現される。

そして新たな世代が生まれる頃、人類の意識的変容がはじまり-というものである。

人類の進化の到達点には何があるのか?宇宙人の目的とは何なのか?衝撃的なクライマックスが読者を打ちのめす。

この作品は以後のSF小説や映画、ドラマ、漫画やアニメーションにも多大な影響を与えている。

私も今回、物語に登場する宇宙人の設定やストーリーのコンセプト、作品ちゅうに深く根ざした独特な宗教観を参考にしただけで無く、タイトルも敬意を込めて使わせて頂いた。

つまり、幼年期の終わりとは、思春期の始まりでありその後の更なる人格形成への重要な過渡期であるという訳である。



もう1つの作品は興福寺の国宝「阿修羅像」である。

三面六臂の異様な姿でありながら、何処か儚げで繊細な造形が印象的で紛れもなく日本の仏像を代表する1体である。




阿修羅は中東あたりでは大地に恵みを与える太陽神であったが、帝釈天に大事な娘を拉致、陵辱され激怒。

その復讐の為に阿修羅は、帝釈天の差し向ける軍勢と幾度も先頭を繰り返すうちに、悪しき闘神と化していった。

それが仏蛇に仏の道を悟され、改心して仏法の守護者となった。3つある顔は、それぞれ仏の教えに初めて触れた衝撃を現す面、それまでの自分の行為と仏の教えとのギャップに葛藤する面、そして悟りを得て懺悔の念を現す面となっている。

つまり、この仏像1体で仏の教えによって人がどのように成長してゆくのかを表現しているのである。

その少年とも少女とも見える美しいシルエットは、仏像としてだけで無く、デザインとして完成されており、観る者の心を魅了する。

だが、デザインとしての調和を優先した為に解剖学的には矛盾した姿となったのも事実である。

例えば1つの頭に3つの顔が存在する事は頭蓋骨と顎関節の位置関係、それに伴う筋肉のかんしょう、頚椎の構造や気管、食道等の配列の関係上、有り得ない。

そして6本の腕も、この様な華奢な体からニョキニョキと伸びているはずは無く、それぞれの肩の部分には必ず鎖骨と肩甲骨、それ等に付着する数多くの筋肉や腱が存在し、琢磨しい胸元を形成しているはずである。

私は今回の作品製作において、三面六臂を解剖学的に造るとどうなるのか?と云う以前から取り組みたいと思っていたテーマに挑戦する良い機会とかんがえた。

3つの顔を1つの頭部に配置する事は、前述の通り現実的では無い為、1つの顔面の左右を別々の表情にデザイン、それで顔2つ分とした。

残るもう1つの顔は、眼や口のパーツをバラバラにし、像のあちこちに配置する事とした。3対ある腕のうち、1対は自らの体を抱くように胸の前で交差させた。

これは、これから飛び出していこうとする外界への恐れや自己保身、自己愛等を現している。次の1対は手の平を上に向けた状態で前に差し出させ、それぞれ右手に知識を現す知恵の実であるリンゴを、そして左手には生命そのものであり、生きる為の糧を現す卵を持たせた。

知識と他社から頂戴する生命、どちらも人が生き抜く為には必要不可欠な物である。

そして、最後の1対は翼へと進化したものとしてデザインした。

勿論左右で異なる形になっている。

思えば、この時点で、出来上がった物が如何に不気味な怪物と化すかは決まっていた様なものだが、その姿こそ「思春期の頃のアンバランスな心の形」に相応しいと考えたのである。

ところで、この「阿修羅像」には、その形状や、デザインの示唆する仏教の奥深さの他に、その製造の特殊性においても多大な影響を受けている。

この像は「乾漆像」と云う独創的な技法て造られた物であり、その技法とは-先ず木材や針金で像の骨格を組み、次に骨格に粘土で肉付けをして全体像を作り、更にその表面を漆を染み込ませた布で覆う。

漆が乾燥し、布が固まったら粘土を取り除き、その代わりに木屑や木片を詰め直す。

そして、更にその上から何枚もの漆を含ませた布を巻きつけながら細部の造形を作り、最後に全体を磨き上げ、彩色を施して仕上げる。実に手間暇をかけた工程である。

だが、この技法ならば、木彫りの像よりも繊細に、銅像よりもあんかに仏像を製作する事が可能である。

私は前作「狭間にて。」製作の際に、この技法を応用し、漆の代わりに木工用ボンドを使用した工作法を考えた。

即ち、ボンドを含ませた紙や布を木材などの骨格に重ね張りし、形を作っていく手法であり、粘土による造形より手軽に、そして短時間に工作が可能なのである。

しかも、一端作り上げた部分であっても修正は容易であり、何度でも作り直せる上に、部品同士の接続もすぐに可能なのである。

しかし難点もある。

それは湿気に対して敏感で、一度乾燥させても、僅かな水分にもボンドが反応して軟化してしまうのである。

そして、その逆に乾燥し過ぎると、ボンドが粗性化し、少し圧力をかけただけで破損してしまう場合がある。

いかに効率的に補強し、それでいて繊細さを維持させるか-そのバランスが難しい。

こうした問題点は前作を製作していた時からの課題であった。

しかし私は有効な解決策を持たないままに造形作業に入る事となった。

ところが、今作の製作開始から約1年程経過した頃だったか、奇妙な事に気がついた。

強度を高めようと思いボンドを含ませた布を厳重に巻きつけた部位と比較して、ボール紙を箱状に組んで内部が空洞になったパーツにボンドを軽く染み込ませた紙で薄くコーティングした部位の方が破損が少ないのである。

そこで、初めて乾漆像の制作過程で、あまり重要視していなかった事の重大な意味に気付いたのである。

それは、粘土で全体像を作りその上を漆を含んだ布でコーティング、その後粘土を全て取り除いて内部を一端空洞化する-という過程である。

更に、この空洞の中にオガクズや木片を詰め込んで3層構造を作り上げ、強度を高めている。

しかも、このオガクズ層は、吸湿性と弾力性に富み、漆の層が気温や湿度によって拡張、収縮を繰り返しても柔軟に対応し、表面のヒビ割れを防ぎ、破損の危険性を小さくしているのである。

私はその逆に漆の層を分厚くすれば、つまり部位全体を漆のムクにすれば強度が増すと考えていた。

しかし、これでは強度を保てないばかりか、環境の変化にも劣化してしまう。

全く不明な事であった。そして改めて先人達の高度な技術と広範な知識に感動し、尊敬の念を抱いた次第である。

これ以降、作業のコツが段々分かってきた。大きく厚みのある部位は、木材や針金で作った骨格を中心にボール紙を箱状に組んで、その空洞部分にクシャクシャに丸めた紙やダンボール等を詰め込んだ。

また、薄い部位や細い部位には可能な限り針金を通して補強した。こうして軽量化と強化に一定の成果が出てきたのであった。

温故知新。今更ながら、手間暇を惜しんではいけない事が骨身に染みた。


話が技術的な方向に反れてしまったのでデザインの話に戻そう。

思春期を語る上でどうしても外せないのが「性の目覚め」である。

体の成長に合わせて生殖機能も発達、しかし心の成長と知識の収集が未熟で偏っている為、心身のバランスが不安定なのが思春期の特徴である。

しかし、セクシャルなモチーフを露骨に造形すると、本来私が表現しようとしているテーマから懸け離れる恐れがある。

そこで、像のいたる所に花を配置する事にした。花とは植物の生殖機能の集積した物であり、その見た目のデザインや色彩は美しく、優雅なものである。

この咲き誇る花々に爆発的な生命力を重ねてイメージさせようと考えたのである。

そしてこの像には植物以外にも様々な生物の要素を加えてある。

それは、一人の人間が形造られるまでに多くの生命や自然環境に影響を受けている事の暗示である。

こうして脳内に明確なデザインを形成するのに約3ヶ月程かけている。

実は前作の造形中からアイデアのほとんどが出来上がっていた。

頭の中にスケッチを描くために、食事の際テーブルに腰掛けている時や、治療院への行き帰りの車中で、目をつぶりながら空中に指を走らせる私のすがたは、家族や周囲の人々には随分奇妙に見えた事だろう。

後はイメージに近づけるべく、部品を造形、組み上げてゆくのみである。

さて、この作品はその巨大さと、構造の複雑さ故に、途中様々なデザインの変更を繰り返していくのだが、最終的に完成した像が、どのような姿になり、どのようなメッセージを込められていったのか、次の機会に解説してみようと思う。



2017年度 第64回鹿児島県美展 一般の部 彫刻部門において、当作品「幼年期の終わり」は、奨励賞を受賞いたしました。

展示会関係者の皆様と製作時にご意見、ご指導を頂いた方々、励ましのお言葉を下さった方々。

私の家族に最大級の感謝を申し上げます。

そして、この作品を当院の全ての患者様と、造形を愛する方々に捧げます。

さかまつ治療院院長 坂松潤一 2017.05.23

さかまつはりきゅう治療院

鹿児島県鹿児島市小松原にて2011.4月~OPEN。 肩こり、腰痛などでお困りの方に、 鍼・灸・マッサージにて治療させて頂きます。 予約優先制・まずはお電話を。 099-269ー1162

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